珈琲タイム

歯性

私は一年に3回ほどは、虫歯などが無くても歯医者に行く。
歯石を取ってもらい、クリーニングをしてもらうために。
先日も椅子に横になりながら、亡母の歯性(こんな言葉がある
のかどうか)のことを思い出していた。

亡母は、私たちの小さい頃からよくほっぺたを腫らしていた。
虫歯だ。なりふりかまわず、ほっぺから首にかけて湿布を貼る。
今みたいに肌色・無臭なんて無い!そこら中臭いだらけ、顔は
半分以上湿布に隠れている。
肩こりから歯に来るのか、歯が悪いから肩が凝るのか?
それに輪をかけ、大の歯医者さん嫌いということも歯性を悪くし
ていたのかもしれない。
そんな母が、数十年後思い切って入歯を作った。
「奥さん、ぐっと若返らせてあげるからね」との先生の言葉を
楽しみに完成した入歯を装着。手鏡を見せられ愕然としたそう
な。口元の皺はのびているが、まるで馬の歯。
先生は満足気にニコニコ。50万円也の請求書を横目に、しば
らくは食欲もなくなったそうだ。
私たちは残念なことにその入歯を装着した母の顔は見ていない。
話だけでけっこう笑わせてもらったのだが、一度見てみたかった。
入歯は、結局使わずにリビングの引き出しにあって、行くたびに
「あそこにあるよ、50万の入歯」と言っていた。
装飾品なら私がもらうってことになるのだが、入歯ではどうしよう
もない。それにお陰で子供たちは、歯には恵まれている。

 歓びの歯は鳴る遠い母のように 新子 (平成7年作)

象さん

8月13日付読売新聞の編集手帳に新子句が取り上げられた。
パンダゾウの悲哀について書かれている。
その冒頭に(新聞記事より引用)、
  
  動物が見せる何気ないしぐさは、ときに人の心を打つ。
  川柳作家、時実新子さんの句がある。
  <象が膝折る 涙が湧いてくる>説明は要らないだろう。
と。

この句は、昭和51年のもの。他にも象の句は、
  <象の鼻夕日の中でまだ動き> 昭和37年
  <象を見ている静かで寒い時間だな> 昭和47年
  <象からの返事はないが旅に出る> 昭和52年
  <象さんは母さんが好き母ごろし> 昭和58年
  <象の国でひっそりと死ぬために今日> 平成10年
などがある。象の生き様に感じるものがあったのだろう。

この記事から「姫路動物園」を思い出した。家のすぐ傍で、
姫路城の北東にある。小さい頃従姉妹が来た、遠方からの
お客さんが来たという時には、よく連れて行ってもらったものだ。
動物園には、昭和26年開園当初から「姫子」という象がいた。
今居る「姫子」は二代目らしい。
久しぶりに動物園に行ってみたくなった。

エッセイ

新聞へのエッセイ募集欄に応募したら、掲載されることになった。
亡母のエッセイ処女集「ちょっと一ぷく」をいつも傍においている
ので、ちょっと私も、という気になっての応募。原稿料もいただけ
るらしい。
でも、素人の弱みで原稿に手は入れられる、タイトルは変えられ
るで、消化不良は否めない。

「月刊川柳大学」の編集をしている時に、編集部のほうで手を入
れることがありますと、お断りしてさわらせてもらっていたが、書
かれた本人はさぞ不愉快な思いをされただろうと、今になって
気持ちがわかる。この場を借りて、その節はごめんなさい!

前出のエッセイ集は、亡母が34歳の頃から「徳島政治新聞」に
連載していたもの。あの頃、ネタ探しに私たち子供も協力したっ
け。面白い事に興味を持つ目はこの頃から育てられたのかも。
亡母は、亡くなる寸前まであちこちでエッセイを書いていたが、
自分の書いたエッセイを読んで、面白いと思うと話していた。
先日も、「新子さんのエッセイが大好きでファンです」という方が
事務局に残っていた新子著書をたくさんお買い上げくださった。

エッセイは心で書くと言っていた「新子さん」。DNAに少しでも肖
れたら……。先日、お墓参りして報告してきたのだが。

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プロフィール


芳賀博子
「時実新子の川柳大学」元会員。
初代管理人・望月こりんさんより引き継ぎ、2014年2月より担当。
ゆに代表。
https://uni575.com

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