珈琲タイム

師匠

母・新子の師匠は「川上三太郎」。
生前、師弟関係の話はあまり詳しくは聞いてなかったが、母・
新子はキカン坊ならぬ、かなりのキカン嬢だったようだ。
新子は添削の○×をもらい、そこから師匠の心根を読取り、自分
の句を磨いていったと言っていたように思う。
私は、母の傍に5年もいながら、編集の仕事に追われ川柳を作る
気になれなくて(言い訳だと言われそう)母にみてもらったことは
殆んどない。
母が亡くなってからボチボチ川柳をやってみようという気になり、
作ってみたが褒めてもらえる人、叱ってもらえる人のいないもど
かしさを痛切に感じている。なんか手ごたえがほしい。

『川上三太郎の川柳と単語抄』

仕事場の書棚にあったこの本を久しぶりに手にとって読んでみた。
 ★川柳は引き算かわり算だ よせ算や掛け算ではない
 ★句は触発ではあるが即製ではない
 ★句とは所詮あげくのはてのものである
 ★わが句はわが子愛して誇るな
四つ目は、新子も師匠の言葉としてよく口にしていた。

母生前、「川柳研究」(昭和35年頃の)に三太郎先生のエッセイ
が掲載されているのを読んで、すごく面白いと母に電話した。
母は、「アンタ、三太郎のエッセイの良さが判るなんてすごい!」
とえらく褒めてくれた(親バカをお許しあれ)。
母も、三太郎のようなエッセイが書きたいと日々思っていたそうだ。
私は母のエッセイも大好きである(子バカをお許しあれ)。
 

色紙

私が、母の色紙を一枚も持っていないと、ブログに書いたせいも
あってか、先日この色紙が届いてびっくり。
 
  
子よ子よと八千日を死なず来た  新子(昭和47年作)

母が生前、心底信頼していた方からのプレゼント。
添えられたお手紙に、色紙を手にした経緯も書いてあり、いつか
私にと思ってくださっていたそうだ。そして、怪我のことをブログで
読まれて、送ってくださったのだ。
「新子先生の愛を抱きしめてください」とある。うれしかった。
母が、この句を色紙に書いた時の気持ち、もちろんこの句を作った
時の気持ちは、今となっては知る由もない。
でも、36年経って母の想いをこんな形で受け止められる私は、
幸せモノだと、そして改めて川柳っていいなと思うのだ。

モニター

ひょんなことから視聴モニターの依頼を引き受けることになった。
二年の約束で機械を取り付け、調査期間のみテレビを観る時に、
ボタンを押せばいいそうだ。
くれぐれもいつもどおりにと念を押された(エエかっこして普段観
ない番組を観ないようにということか、フフフ)。

母は、かなり長い間、某放送局の審議委員をやっていた。
宿題があって、次回の会議までに指定された番組を観て、感想と
意見を持って出席するそうな。
昔、里帰りで皆集まると、男性陣はすぐにテレビをつけたがる。
母は、久しぶりに積もる話をしようと待っているので、うまくお尻で
テレビを消す技を持っていて(昔のテレビはスイッチを押したり引
いたりした)「ヤッ何でやろ消えたね」と言いつつ自分のペースに
皆を巻き込んでいた。テレビより会話重視の母だった。
そんな母が、話の途中でもテレビをつけるようになったので、「お母
さん、えらい急にテレビっ子になったんやなぁ」フシギと思っていた。
会議では10人ほどの審議委員の先生方は「まぁいいじゃないです
か〜」の無難な意見ばかりで、母一人本音をぶちまけていたそうだ。
ムキになるので、きっと丁々発止やっていたのだと思う。
「辛口の時実さん」で通っていたみたい。
後年、眼も悪くなり本も読みづらくなって、テレビ漬けの毎日だった
から、きっといいモニタにーになれたろうに…うまくいかないものだ。

今日から九月
  疑いの長い九月の鯖の色    新子

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プロフィール


芳賀博子
「時実新子の川柳大学」元会員。
初代管理人・望月こりんさんより引き継ぎ、2014年2月より担当。
ゆに代表。
https://uni575.com

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