お茶の水〜神田界隈は、20年お勤めで通い慣れた街なので、
ギャラリーの帰り道、神田淡路町までぶらぶら足をのばした。
35歳から50歳を神田で、そのあと会社が秋葉原に移ったの
だが、神田は私の第二の青春時代と言っても過言ではない。
そういえば、私が勤めだしてすぐの頃、母が尾瀬からの帰りに
ウチに泊まるというので、神田の駅で待ち合わせをした。
その時の母のいでたちは、俗に言う「カニ族」。
リュックを背負い、登山杖(棒?)を握り、勇ましい格好で改札
から出てきた。娘の私は、「え〜っアレお母さん?」とびっくり!
が、背が低いので改札にリュックがひっかかりなかなか出て
来ない。駅員さんに助けてもらってやっとお目見え。
会うなり、母娘で大笑いだ。
この頃の母は、再婚相手と交際中。女性は、男の人によって
こうも変わるものかというそれまでの母から想像できない姿。
神田の改札を通るたびに、母のその時の格好と幸せそうな
顔が浮かんできて、私は一人でニヤニヤしていた。
いろんな思い出が詰まった街、神田。
『時実新子一萬句集』の打ち合わせもこの街で。
「博報堂」にも「時実新子をよろしくお願いします」と、挨拶回り
に行き、母が「ワタシ、こんなん嫌い」と渋い顔をしていたことも
懐かしい。
オマケに神田の思い出をもう一つ。
「フルーツパーラー万惣」のピーチジュースとホットケーキ。
ホットケーキは、蜜の代わりに生クリームのソースかけていた
だく。写真は、フルーツホットケーキを頼んで出てきたもの。
ピーチジュースは期間限定で今しかない!何年ぶりかな。
だけど、以前は氷は入ってなくて小さいグラスに絞りたての桃
が出てきたのに……。違うものになっていてちょっと残念!